パリ条約

2014年01月12日 18:23

非常にたくさんあるパリ条約をまとめます

 

まずは一覧(Wikipediaより)


・パリ条約 (1259年):1259年にプランタジネット家に南部フランスの領主権を認めた条約。
・パリ条約 (1763年):1763年に七年戦争を終結させた条約。
・パリ条約 (1783年):1783年にアメリカ独立戦争を終結させた条約。
・パリ条約 (1810年):1810年にフランス帝国とスウェーデン王国との戦争を終結させた条約。
・パリ条約 (1814年):1814年にフランス帝国と第六次対仏大同盟諸国との戦争を終結させた条約。第一次パリ条約とも。
・パリ条約 (1815年):1815年にワーテルローの戦いの後に締結され、ナポレオン戦争を終結させた条約。第二次パリ条約とも。

・パリ条約 (1856年):1856年にパリで開かれたクリミア戦争の講和会議で締結。
・工業所有権の保護に関するパリ条約:1883年に締結された、産業財産権(特許権、意匠権、商標権など)の保護に関する条約。
・パリ条約 (1898年):1898年に締結され、米西戦争を終結させた条約。
・パリ条約 (1919年):1919年に締結された国際航空体制に関する条約。シカゴ条約によって廃棄された。
・パリ条約 (1920年):1920年にベッサラビアとルーマニアの統一を宣言した条約。
・不戦条約:1928年に締結された条約。パリ条約あるいはパリ不戦条約とも呼ばれる。
・パリ条約 (1947年):1947年にドイツを除くヨーロッパの旧枢軸国と旧連合国の間で結ばれた講和条約。
・パリ条約 (1951年):1951年に西欧6カ国で締結された欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)を設立する条約。

 

 

赤字をつけた4つは重要なので整理のために内容をもう少し詳しく(青字は後で説明します)

 

まず、1763、1783、2つのパリ条約ですが、締結年も近い上に内容も関連してるので戦勝国が得た地域に注目して整理。

 

・パリ条約 (1763年):1763年に七年戦争を終結させた条約。

七年戦争

オーストリア継承戦争でプロイセンにシュレジエンを奪われたマリア・テレジアが、その奪回を目指して1756年に開始した。アメリカではフレンチ・インディアン戦争、プラッシーの戦いが行われ、1763年にパリ条約で講和。

内容

イギリスはフランスからカナダとミシシッピ以東のルイジアナ・フロリダをなどを得た。

スペインはフロリダと引き換えにミシシッピ川以西のルイジアナをフランスから得た(その後仏西間の秘密条約でルイジアナはフランスに返還されている

 

 

・パリ条約 (1783年):1783年にアメリカ独立戦争を終結させた条約。

内容

イギリスは13植民地に関する一切の権利を放棄

アメリカはミシシッピ川以東のルイジアナを獲得

 

2つの条約によって、ミシシッピ川以東のルイジアナがフランス→イギリス→アメリカと移ります。ここでミシシッピ川以西のルイジアナはまだフランスが領有しており、フロリダは現時点ではイギリスが領有していることに注意。

 

上記2つの条約と関連して覚えるべきことが2つあります。

 

まず、1783年パリ条約が締結された後に同年イギリスとスペインの間にヴェルサイユ条約(名前を覚える必要はない)が結ばれ63年のパリ条約でイギリスが獲得したフロリダがスペインに返還されました。このフロリダは後に1821年にアメリカがスペインから獲得します。

 

もう一つは、アメリカはミシシッピ川以西のルイジアナをナポレオン戦争中に統領政府時代のナポレオンから購入したこと。

 

 

高校世界史ではフロンティア開拓が進むころの話の流れで「ミシシッピ川以西のルイジアナをフランスから購入、フロリダをスペインから得た」と流されてしまいますが、その割には七年戦争でイギリスがスペインからフロリダを得たことと、ミシシッピ川以西のルイジアナを一度スペインが得ていることだけは書いてある参考書が多いのです(フロリダが後にスペインに返却されたこと、ルイジアナがフランスに返却されたことは書いていない)

きちんと領土の獲得を追っていると混乱するので整理しました。ですが結局のところはアメリカがスペインからフロリダを、フランス(ナポレオン)からルイジアナを、ついでに米墨戦争でメキシコからカリフォルニアを得たことがフロンティア開拓において重要なことです。

 

 

残りの赤字2つに進む前に青字について

まず、ナポレオン戦争のパリ条約については主にフランスの賠償を定めたものでこれは出題されませんし重要語でもないです。高校世界史で重要なのは当然ウィーン会議とウィーン議定書の内容です。

 

次に米西戦争のパリ条約ですが、これは条約名は恐らく出ないですが講和内容だけは出題の可能性があります。以下の二点。

1.キューバの独立(スペインから)

2.アメリカはスペインからフィリピン、グアム、プエルトリコを獲得

 

まず、米西戦争はそもそもキューバのスペインに対する独立戦争にアメリカが割り込んだ形で行われた戦争であり、キューバでは米西キューバ戦争と言われているものだと言うことです。高校世界史では単にアメリカとスペインが争って講和条件としてキューバが独立(いわゆるプラット修正条項で事実上アメリカが保護国下)したと書かれますが、この戦争でのキューバの独立というのは本来の原因であり目的であったわけです。

 

キューバの保護国下、フィリピンなどの獲得は前者は大戦後のキューバ革命、後者は太平洋戦争につながります。

 

ECSCについては条約名は必要ありませんが、成立年と加盟国は確認しておくべきでしょう

 

 

 

・パリ条約 (1856年):1856年にパリで開かれたクリミア戦争の講和会議で締結。

ロシアの南下政策に関連して覚えることが大事です

流れとしては、「エジプト・トルコ戦争→クリミア戦争→露土戦争」ですが

結論から述べると南下政策は全部失敗します。

 

このパリ条約では黒海が中立化されロシアは黒海に軍艦を一隻も浮かべることができなくなりました。

 

 

 

 

 

・不戦条約:1928年に締結された条約。パリ条約あるいはパリ不戦条約とも呼ばれる。

これはパリ条約という名前では出ません。また不戦条約とだけ覚えておくのもダメです。

フランスとアメリカの協議から始まり締結された条約で。活躍したフランス外務大臣ブリアンとアメリカ国務長官ケロッグの名前を取って「ケロッグ=ブリアン条約」という通称の方がむしろ重要です(あくまで高校世界史では)

ケロッグ=ブリアン条約と不戦条約の名前を覚えましょう。

 

 

さて、この記事の趣旨は高校世界史でよく出てくるパリ条約をまとめようということですが。結論としては

  • 重要なパリ条約は3つだと言うこと
  • 最初の2つはアメリカのフロンティア開拓に関連して覚えること。
  • クリミア戦争のパリ条約はロシアの南下政策に関して覚えること。

 

こうなります。

 

何度も何度も出てくるようで意外とまとめてみると少なかったですね。

 

 

 

comments powered by Disqus