ベルリン条約・ベルリン会議
ベルリン条約・ベルリン会議についてのまとめです
まずは一覧(Wikipediaより)
ベルリン条約
・ベルリン条約 (1742年)
・ベルリン条約 (1878年) - 1878年のベルリン会議で結ばれた、露土戦争の戦後処理に関する条約。
・ベルリン条約 (1885年) - 1884-85年のベルリン会議で結ばれた、アフリカ分割に関する条約。
・ベルリン条約 (1899年) - 南太平洋のサモア諸島の分割を取り決めた米独間の条約。
・ベルリン条約 (1921年)
・ベルリン条約 (1926年) - 「独ソ友好中立条約」とも呼ばれる独ソ間の条約。
ベルリン会議
・ベルリン会議 (1878年) - 露土戦争後の紛争解決のための国際会議。
・ベルリン会議 (アフリカ分割) - アフリカ分割をめぐっての列強による会議。
・ベルリン会議 (COP1) - 環境問題解決のために1995年に行われた気候変動枠組条約の第1回締約国会議。
高校世界史で重要なベルリン条約・ベルリン会議は1878年と1885年に行われた2つの会議とその条約です。
年代と内容を覚えておきましょう。
この2つの条約・会議にはビスマルクが深く関わったということが重要なのです。
ビスマルクは1862年にプロイセン(ヴィルヘルム1世国王)の首相(宰相)となり、ヴィルヘルム1世が統一ドイツ(1871年)の帝位についたドイツ帝国(第二帝国)においても首相となり、ヴィルヘルム2世が即位する1890年までドイツを指導しました。
プロイセン首相時代は三帝同盟、三国同盟、再保証条約などでフランスを孤立させました。
私は「いばるフ(1862)ランス抑えたビスマルク、やめるなんて言わない(1871)でくれ(90)」とおぼえています