【映画】Dead Poets Society [1989]
2014年01月29日 23:31
Dead Poets Society(邦題:今を生きる) という映画を観ました。
Amazon.co.jp: いまを生きる [DVD]: ロビン・ウィリアムズ, ロバート・ショーン・レナード, イーサン・ホーク, ノーマン・ロイド, ピーター・ウィアー: DVD
実験的に映画を日本語の字幕も英語の字幕も付けずに観るということをしています。前情報は例えばレンタルビデオ店でケースの裏に書いてある情報を読んだ程度の前情報であらすじなどもまったく知らない状態で観るということを試しています。
前から英語字幕で映画を観ることはよくやっていたんですが、どうにも没入できなくて理解度も浅かったんですが、今回英語の字幕も無しで観てみるとかえって集中出来ました。
ただ、初回に選んだ映画としては良くなかったかとも思います
以下極力ネタバレはしないように書きます。
厳しい校則の全寮制の高校にOBであるキーティングという英語教師が赴任してくるところから始まります。この教師は最初の授業の早々で「教科書なんて破り捨ててしまえ」というようなことを言う破天荒な講師で、それまで型にはまった高校生活を送っていた生徒たちは戸惑いながらもこの教師の主に古典の詩を使った講義に引き込まれ、新しい価値観を見出していく、という導入です。
これくらいは最序盤なのでネタバレというほどでも無いでしょう。
何故初回に選んだ映画として良くなかったかというと、古典詩がたくさん出てくる映画なので、ただでさえ完全に英語を理解出来るわけでは無いのに加えて文法もよくわからない古典詩の部分は、詩的内容の理解なんて出来るわけもなくほとんど理解できなかったですね。
とはいえ、作中で重要な役割を果たす詩に関しては簡単な内容だったので雰囲気はつかめました。
ストーリー自体は普通に追えたのですが、たくさんの古典詩が出てくるので英語の古典的教養が無ければ、あの情景と詩が絡み合った独特の美しさが完全に理解出来ないだろうことが感じられて、途中からすごく残念に思いながら観ていました。
あまり内容を書くのもよくないので、簡潔にどういうことを考えさせられたかを書くことにします。
今日読んだカーネギーの本とも関連することですが、他人を相手にするときに「相手を尊重する」ということがいかに大切か、ということを深く考えさせられました。
思春期(と言っても今の時代どこからどこまで、と明確に線引きをすることは難しくますます拡大しつつあるように思いますが)の人間や、抑うつ状態にある人間を相手にするときはなおさらです。最近は自分の将来についてと、差し迫る弟の今後についてよく考えますが、今後話す時はこういったことには特に気をつけてみようと思います。自分のことについては、どことなく今後が好転しそうな雰囲気のする些細な出来事があったので、そんなに不安はないです。
たまたま私が最近そういうことをよく考えていたから、特にこういった内容を考えさせられたのですが、別にこういった内容がテーマの作品というわけではなく、感想もかなり分かれる映画ではないでしょうか。それほどたくさんの映画を見てきたわけではないですが、例えばダンサー・イン・ザ・ダークのように観た時の精神状態なんかにもかなり感想が左右される映画の1つであると感じました。
固定の登場人物たちが数人いるのですが、どの人物もキャラがたっていてそれぞれに魅力的で、まったく違うタイプの映画なのに、何故か「西部戦線異状なし」を思い出しました。
完全に理解出来たわけではないので、作中の詩についても少し予備知識を入れてからもう一度観たい映画ですね。